博士への長い道 東海大学連合大学院理工学研究科(課程博士)の場合(2007年度版)~学位取得編

はじめに

ご存じとは思いますが, 慶応大Dのitojunさんに インスパイアされています. 元ネタはどちらかといえば, 東大DのShingo W. Kagamiさん. 博論が煮詰まりすぎて書き始めた.やらなくちゃいけないと思った.

20071103:
itojunさんのご冥福をお祈りいたします

この文書には, 東海大学連合大学院理工学研究科の博士課程を 2008年3月に修了しようと試みるヘタレ系Dの顛末が記されます. 一般的な博士課程在籍者はヘタレではないと思うので, この文書が役に立つことはないかもしれませんが, タイムスケジュールぐらいは役に立つと思います. 当然ながら,内容は無保証であり,非公式なものですが,フィクションではありません.

20080324:
博士(工学)となりました.

実際の学位申請スケジュール

下準備

2005年4月1日

東海大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程前期から 東海大学連合大学院理工学研究科総合理工学専攻情報理工学コース博士課程に進学. 推薦での受験だったのだが,進学先および入学許可先は 東海大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程後期だった. 突然にして「君の進学先はない.進学するなら連合大学院に入らなくてはならない」と言われ, 「文句を言いません」という誓約書を書かされる. 早くも暗雲が立ちこめる.

2006年9月21日

東海大学大学院工学研究科情報理工学専攻修論中間発表にて,博論中間発表をさせていただく. 後に,連合大学院の正式な博論中間発表があることを知る.

2006年12月2日

東海大学連合大学院の正式な博論中間発表が行われる. 各校舎に散らばっている学生が発表できるように,テレビ会議システムを用いて行われる. 慣れてないシステムでの発表で,四苦八苦.

2007年5月14日

博論の準備を始める. 手始めに,先人の博論を眺め,TeXのスタイルファイルを考える. 結局,修論に使ったスタイルファイルを微調整することに決定. 修論のスタイルファイルは奥村氏のjsbookを微調整したもの. 微調整に微調整を重ねると困ることが多いので,サラの状態から調整し直す. スタイルファイルを弄くり始めると,論文って進みませんよね?(同意を求める)

2007年5月15日

学位論文援助金の申請を行う. 学位論文援助金とは「博士の学位論文作成のための援助金を支給することにより, 学位取得を奨励し有為な研究者を育成することを目的とする」もの. 援助金の使用用途としては,「学位論文の印刷および製本」あるいは「学位論文作成に直接必要とされる経費」. 予算項目には以下のようなものがある.一部を抜粋. 「外国出張に要する旅費」「国内出張に要する旅費」「印刷代,別刷代,論文掲載料,論文投稿料」 「論文製本代」「国際学会参加費,学会参加費」 学位論文作成のための援助ならば,是非ともD1やD2の頃に支援していただきたい. 学位論文の印刷および製本代は大変嬉しいのだが, 論文掲載料や投稿料や別刷代が本当に必要なのはD1やD2の頃である. その頃に論文が掲載されているから,こうして学位論文作成に至っているのである. 学位論文の印刷および製本代はとてもありがたいことだが, 是非ともD1やD2の援助もしてあげてください. お金がないと海外出張も大変なんです. 予算の都合で論文の掲載を断ることもあるんです(オレはなかったけど).

2007年5月28日

理工学研究科学位審査手続きの2007年度スケジュールを入手. 資料の発行日が2007年3月6日になっているのは,ボス・マジック. 有無を言わせない.

学位論文援助金の交付が決定する.

2007年6月22日

この文書を書き始める. ヘタレ系Dの生き様を世間に広く知らしめる必要があると思った. オレのヘタレ加減に当てられて,「ああはなるまい」と思っていただければ幸いである.

2007年6月26日

博論のタイトルについて,ボスとミーティングを行う. 博士課程において,自分がどの様な研究をしたかをタイトルに表したい. でも,行った研究や実績は一本槍ではない. だから,複数の論文があっても,そのタイトルをつなぎ合わせればいいというものでもない. かといって,広く一般的なタイトルで良いはずもない. 難解だ. とりあえず,それっぽく納得のいくタイトルを決めた. 噂によると,初回の予備審査でタイトルが変更になることが多いそうだ. 難解だ.

2007年6月27日

審査委員が内定したらしい. 主査となるボスがお願いする先生方に打診をしてくれたようだ. オレ,なにもしてないんですが,いいんですか?

2007年7月5日

学位申請時の提出書類を入手した. ずいぶんと前から「早めに書いておきなさい」と言われ続けていたのだが, その度に「その書類はどこから入手するんですか?」「メールで送るから」というやり取りがあり, 本日やっと送られてきた.苦節数週間.早めに動こう.

2007年7月20日

第1回予備審査の候補日を打ち合わせする. 「オレは予定が無いから,いつでもいいですよ」と言ったら 「予定のあるなしではなくて,論文ができるかどうか」だと怒られる. 確かにそうだ. 現状では8月下旬に第1回を行う方向で調整する模様. 頑張れ,オレ.

2007年7月27日

学位申請時の提出書類を準備し始める. 即時大憤慨. 何故多くの公的資料はあれほどまでにずさんな作りになっているのだろうか. 何故多くの資料作成者は無自覚であり無配慮なのだろうか. センタリングを使わずに,スペースで真ん中に配置したり,全角と半角の英数字を混在させたり, 和暦と西暦が同一書類内に平然と混在していたり(これは仕方がない規定があるかもしれないが), 半角と全角の句読点が混在していたり・・・ というわけで,Word形式で配布されている全ての書類をTeXで作り直した. 微調整を行った後,LaTeXベースのテンプレートを配布する覚悟である. これは無駄な努力ではない.

2007年7月29日

学位申請時の提出書類のLaTeX版を独自に作成した. 自己責任で利用するといい. 不満があるときは,滅多打ちに批判するだけでは不十分であり,自らの改善策を体現して見せ知らしめる必要がある. それができない時,批判は批判ではなく,誹謗中傷と化す.

2007年8月29日

予備審査前最後のミーティングを行う. 論文の構成については概ねのokを頂く. 完成していない1章と5章を仕上げて,2章と3章の整合性を取れば,一応の完成を見ることとなる. 第1回の予備審査は9/4である. さて,肝心なことを忘れてはならない. 審査委員は5名いる. 博論は約100ページである. 両面印刷で50枚.5名の審査委員に配布するので,250枚の印刷を行うのだ. これを少なくとも4回は繰り返すので,印刷枚数は優に1000枚を超える. 博論は至る所でお金が必要になるものである.

予備審査

2007年9月4日 第1回予備審査

予備審査の第1回が執り行われる. 会場は12号館5階の会議室3.いわゆる学生立ち入り禁止の先にある部屋. 部屋の雰囲気は「尋問部屋」って感じ.懲罰委員会とか開かれてそうな感じ.

これから予備審査を行う方々にアドバイス. スクリーンはあるが,プロジェクタはないので,持参すること. ノートPCも置いてないので,持参すること. コンセントから部屋中央までが遠いので,延長ケーブルを持っていくこと(学務でも借りられる). スクリーンの設置と部屋のアレンジに思いの外,時間を要するので,開始15分前には準備を始めるべし. 審査委員の皆様に飲み物をお配りすると,殺伐としなくて,なんとなく雰囲気が良いような,プラシボ.

第1回目は概要説明に終始するのかと思ったが,全然違った. スライドは完全版が必要である. 概要部分の説明はダイジェスト的にサラリと行って,コアの部分を詳細に説明しなくてはならない. 特に,論文の特徴や性格,従来何が問題で,この論文では何を論じて,何を明らかにした(解決した)のかを明確に述べる必要がある. また,難しいことに,専門分野の先生は「説明が足りない」と言ってくるし, 非専門分野の先生は「大まかな概要とインパクトを要求してくる」. なのに,総会議時間が1時間程度ということもあり,プレゼンは30分程度に収める必要があり,四苦八苦. どのみち,大量のコメントが寄せられることが容易に想定されるため, コアな話に終始するべきのように感じる. 専門分野の先生とのやり取りを見れば,非専門の先生でも概要は容易に理解される. うーん.妥協が多すぎる.

第1回予備審査で頂いたコメントは以下の通り.

どれもこれも明らかなものばかり. 「オレはこんなに基本的なことすらできないのか」とかなり落ち込む.覚悟が必要. こうなってしまった要因としては,ページ数無制限が挙げられるだろう. 論文誌等では制限があるので,余計なことは書かずに,エッセンスのみを忠実に書く. しかし,博論ではページ数無制限であり,なんとなく100ページに届かせたい願望もあり, エッセンス的な文面の端々に冗長さが散見される. うまくまとめなくてはならない.試練だ.

次回は9月18日である.気合いが必要.

2007年9月18日 第2回予備審査

予備審査の第2回が執り行われる. 会場は12号館5階の会議室4. 以降,予備審査は会議室4で行われるようだ.

第2回以降の予備審査は審査委員や専攻によって異なると思われる. 耳に入ってくる情報もまちまちである.

3のやり方がオーソドックスに思われる. オレも3のやり方である. 第1回予備審査でも書いたように,自分の論文について,説明を行う. このプレゼンに対して,様々なコメントが行われる. おおよそのコメント内容は,前回書いたとおりである. これを受けて,第2回予備審査では,前回の質疑応答に対して, 論文をどのように修正したかを説明する. 説明に際しては,プレゼンと修正済論文と回答書で行う. 前回の指摘事項とその修正内容を照らし合わせ,さらに議論を行うこととなる.

わかると思うが,出来が悪ければ,修正内容は棄却される. どれだけ書いたかは関係がない. 要点が満たされているかどうかだけが重要なことである. よって,ヘタレ系Dのオレは,第2回予備審査において, 修正内容に対するやり直しを勧告というか命じられた. オレは完全にダメなヤツだ.

次回は9月25日だ.

2007年9月25日 第3回予備審査

予備審査の第3回が執り行われる. 会場は前回と同じ12号館5階会議室4.

審査員殿からのコメントが段々と柔らかくなってきた. オレの出来が良くなってきているのか,オレの出来が悪すぎて呆れかえっているのか, 予備審査開始を承認したのに,このままでは予備審査完了が危ういので,優しくなっているのか. 唯一確かなことは,今できる最大限を行うことのみ. 次回は10月4日で最終回だ.

2007年10月4日 第4回予備審査

予備審査の第4回,つまり最終回が執り行われる. 会場は前回と同じ12号館5階会議室4.

孤軍奮闘の様相を呈しながら,様々な修正を施すことで, 学位申請を行うことが承認される. ダメなDだ.

学位申請

2007年10月20日

上層部が色々と揉めているようだ.運営が揉めるのだから,現場はてんやわんやだ. いくつかの学位申請書類が変更され,いくつかの学位申請書類が追加された. また,学位審査手続きの日程にも変更が加えられている.

学位申請先がどこなのかでボスと大揉め. 既に学位申請を行った石井先生からの情報に依れば, 学位論文は「東海大学大学院平成19年度博士論文」となるらしい. 「東海大学連合大学院平成19年度博士論文」ではないらしい. この「東海大学大学院」というのは, 東海大学大学院学則 第1章第1条でいうところの「東海大学大学院」なのか, 同第2章第6条でいうところの「大学院」なのかがはっきりしない. また,東海大学教育・研究組織図 によるならば,専門職大学院と連合大学院と大学院はそれぞれに対等の関係であり, 東海大学大学院という組織の中に,専門職大学院と連合大学院と大学院が属しているわけではない. そのため,どう考えても学位申請が「東海大学大学院」になるのは納得できない. 承伏しかねるので,徹底抗戦の方向で.

2007年10月26日

博士論文の最終チェックが完了したので,学位申請の最終準備を行う. 学位申請に必要な書類は学位申請時の提出書類を参照のこと. 学位申請を行う前に,事前に専攻主任のチェックを受けることが通例のようだ. 私は理工学研究科総合理工学専攻なので,増田先生のチェックを受けることになる.

予想通り,「東海大学大学院平成19年度博士論文」に修正せよと言われる. 納得いかなかったので食い下がったが,結局の所,誰も分からないようだ. これ以上揉めても結論が出ないし,申請が進まないので, 後生大事に愚痴をこぼしていこうと心に決め,承伏した. なお,履歴書についても修正を言い渡された. 研究歴には,修士からの研究歴を書くらしい. 学外での研究活動のみを書くのではないらしい.

専攻主任のチェックを受けに行く際は, 学位申請時の提出書類を準備する必要がある. しかしながら,学位論文を仮製本とはいえ3冊準備していくのは,賢くない. 今回のように,学位論文に対しても(些細なこととはいえ)修正を指示される可能性がある. そのため,チェック用に1冊を持参し,それでokならば,さらに2冊を作成する. 修正を指示されたら,修正を施して,3冊の仮製本を行い,学位申請を行う. 誰でも気がつくことだと思うが,オレの手柄のように書いておく.

全てのチェックを通過したら,学位申請を行う. 厳密には研究科長に申請することになっているのだが,実際には事務方に提出することになる. 学位申請を行いに行ったのだが,担当の事務方が休暇中であったために, 預かりという形になった. まだ受理されていない.要確認.

2007年11月9日

私の所属は「東海大学連合大学院理工学研究科総合理工学専攻」ではなく, 「東海大学大学院理工学研究科総合理工学専攻」であることが判明する. そのため,学位申請書類の大半を修正する必要が発生した.

なお,今まで学外で発表した論文等は全て「連合大学院」を名乗っている. さらに,ポスドクの申請(断念したが)においても「連合大学院」で申請手続きを進めていた. 広報も「連合大学院」と案内していたが,来年度は組織が消滅するので,既にコンテンツも消滅している. 我々連合大学院生の存在も消滅させたいのだろうか.

2007年11月22日

予想通り,学位申請書類が再び返ってくる. 指導教員のチェックを通過し,専攻主任のチェックを通過し,連合大学院事務方のチェックを通過したにもかかわらず, 今度は教学課のチェックを通過できずに返ってきた.

修正内容は軽微なものと深刻なものの両方が混在. 軽微なものは「そこまでチェックするのか?」というレベルのもので, 「名字と名前の間に全角スペース1つ」とか「論文の発行年は()で括れ」とか,マジか!?ってレベル. これがマジの話だから困ってしまう. ハッキリいえば,そこまで厳密にチェックするなら,テンプレートを厳密に作っておいて欲しいと思う. 参考資料から間違っているのは,どうにもならんと思う.

深刻な修正はオレの所為ではない. 予備審査委員の1人の所属が連合大学院ではなく,専門職大学院らしい. 誰一人として気が付かないなんて・・・ しかも,その申請書類を作成したのは指導教員. むしろ,所属が違うなんていう事実を知らなかったオレは, 事務方に「そんなはずはないと思う」と食い下がってしまった. お手数をおかけして申し訳なかったが,「そんなことはありません」と断言して突き返せない事務方. つまり,事務方すらも分からない. そんな東海大学の内情です. 誰が何所の所属かなんて,全然分かりません.ミステリアス.

2007年12月5日

修正はまだ終わらない. オレはおかしいと思っていたから,何度も連大事務方に確認し, その事務方は教学課に電話して確認までしてくれたのに,やっぱり,間違っていた. もう何が正しいのかも分からないし,人間不信に陥りそうだ. 所属は「専門職大学院」だけではダメで,「東海大学専門職大学院」と書くらしい. 注意されたい.

2007年12月6日

またもや仮製本の不備が伝えられる. 今度は織り込まれているページ順が正しくないそうだ. 確かにこちらのミスであるが,「よくもまぁ黒製本と差し替えるものをそこまでチェックするものだなぁ」と感心する. これで仮製本のやり直しは4回目か. 仮製本費を請求したいくらいだ.案外痛い.

学位論文援助金の項に書いたように,トナー代と紙代が本当にばかにならないので,予算変更依頼を行った. というか,ボスにはこの事実が分かった時点で,予算変更依頼をして欲しいと頼んでおいたのだが,3回は言わないと実行されない. 困るのはオレだけではなく,研究室の共用プリンタを使う全ての人なんですが・・・. 予算変更依頼は,何故予算を変更しなくてはいけないのかを切実に述べ,予算をどのように振り替えるかを明記し, 研究科長および専攻主任ならびに指導教員の三者の印を揃え,教学部事務室長宛に出すこととなる. なお,オレが書いてもいいレベルの書類ではないらしい. 案外格式が高い面倒な手続きであることが分かった.オススメできない.

2007年12月10日

課程博士は学位授与に際して,学位授与に相応しい学力を有するかを確認する目的で,学力試験を受けなくてはならないらしい. 口頭試問のみのようだ. ちなみに,論文博士の場合は,口頭試問に加え,筆記試験および外国語能力も評価されるらしい. なお,担当試験官は指導教員である. 実際,形式的なものではないのかと勘ぐっているのだが,12月15日14時に学力試験が行われることになった. きっと,学力はないから,不適合の烙印を押されることだろう. オレにあるのは向学心のみだ.

2007年12月15日

学力試験を受験する.試験監督は主査.つまり,指導教員だ. この学力試験の要旨および結果は1月16日の「学位授与可否の審議依頼」に必要な書類の1つだが, どうも,本審査においても必要となるらしい. よって,公聴会以前(実質的には12月19日の連合大学院運営委員会以前)までに実施する必要があるようだ.

試験内容にも触れておく. 「学位論文に関する内容および口頭試問」となっている. 具体的に何をせよとは指定されておらず,試験時間も明記されていない. つまりは,どのような方法でも構わないようだ. オレの場合,「学位論文に関する内容」として「公開鍵基盤」について述べ, 「口頭試問」として,アルゴリズム,コンピュータアーキテクチャ,情報セキュリティの3問について述べた. アルゴリズムは「ソートアルゴリズム」と「再帰アルゴリズム」の2題から選択になっており, ソートを選択した. コンピュータアーキテクチャは「CPUの基本構成とその動作の仕組み」と「32bitCPUの命令セット」の2題から選択になっており, CPU命令セットを選択した. 情報セキュリティは「共通鍵暗号」と「公開鍵暗号」の2題から選択になっており, 当然ながら,公開鍵暗号を選択した. 上記内容について,約45分ほどの口頭試問を行った.

学力試験後に公聴会(予定)の司会(候補)と書記(候補)の先生方と打ち合わせをした. 進行方法および議事録のフォーマット,質疑応答時における取り回しの仕方を確認した. 質疑応答は大変に面倒くさい内容となっている. 質問者の質問に対し,学位申請者が応答するわけだが, その内容について,質問者は「わかりました」や「はい.ありがとうございます」と述べるだけではダメで, 「了承しました」と意志を明確にしないといけないらしい. 通常の質疑応答で「了承しました」などと言うことは無いわけで, 司会が質問者に対して「了承と言うことでよろしいですか?」と確認することになるようだ. 阿吽の呼吸ではダメのようだ.明確な意志の提示が必要のようだ.

2007年12月19日

連合大学院運営委員会により,本審査を経て,公聴会を開催することが承認される. よくわからない.

2007年12月20日

本審査を行う. 本審査は予備審査委員の先生方に, 公聴会の開催を承諾してもらうために行うようだ. 行うことは,博士論文の再確認,その他の手続き資料の確認である. なお,審査は学位申請者を抜いて行われるため, 実質的に学位申請者はすぐに退出することとなる.

本審査の結果,公聴会を開催しても良いこととなる. 12月22日が決戦だ.

2008年1月9日

学位授与可否の審議依頼」の申請を行った. 実質的に,オレが行うことは何もなくなった. ひたすらに学位審査委員会で行われる学位授与可否の投票結果を待つだけだ.

2008年1月17日

学位審査委員会で行われる学位授与可否の投票はどうやら1月23日に行われることになったようだ. 手元の資料よりも1週間早く開催されるようだ. つまり,オレがいないときに開催されるようだ. オレはいてもいなくても関係がないので構わないが,予備審査委員の先生1名が学会出張でいらっしゃらない. ボクには投票してくださらないんですねっ><

2008年1月23日

学位授与可否の投票はつつがなく終わったらしい.ありがとうございます.

2008年2月21日

学位授与式の前に,連合大学院1期生の修了生とその指導教員を集めて, 昼食会が行われるという情報をキャッチ. お酒は出るのかな?

学位授与の決定は実務レベルでは27日に決定され, メールで非公式に伝えられる模様. 正式発表は3月10日の掲示だと思われる. 正式発表に前後して,保護者(保証人)宛に,修了通知が郵送されるはず.

2008年2月27日

以下のメールが届く.

本日、15時より連合大学院運営委員会が開催され 学位授与につきまして「可」と判定されました。

やっと確定したようで,一安心.

2008年3月7日

昼食会の詳報が届いた. 学位授与式の前に,12-2会議室で行うらしい. お酒は期待できなさそうだ. リストを見る限り,修了生は9名だろうか.

2008年3月11日

大学から「学位授与式案内」なる郵便が届く. 要するに,博士は1人ひとり壇上で学位を授与するから,来るのか来ないのかはっきりせい,と. 行かない理由が見当たらないので,出席する旨の返信.

合わせて,文科相主導と思われる「就職・進学先等調査」も同封されていた. 漂流する博士の現状を調査したいものと思われる. 最後の最後まで,就職課は全く関与してこなかった. 大学の名を背負うであろう博士に対して,大学は何もフォローをしないということであろうか. 「私どもでは役に立つことはできませんが,ご活躍をお祈りしております」くらいの一筆を入れて欲しいところだ.

2008年3月18日

審査委員の先生方をお招きして,夕食会を開催した. 定番の陣屋の個室座敷. 都合が悪いということで,1名の先生は欠席された. オレを含めて5名で楽しい夕食会となりました. 緊張するぜ.

2008年3月24日

雨が降りしきる中,登校した. 学位授与式が執り行われる今日という日に,太陽が涙しているそうだ. その太陽も泣き疲れたのか,学位授与式前には雨が上がった.

学位授与式に先立って,研究科長主催の昼食会が行われた. このような試みは初めてだそうだ. 昼食を食べながら,各人が名前・指導教員・感想などを述べていく. 大変喜ばしいことに,この昼食会に参加した10名程度の修了生は, 全員が何かしらの職を得ていた. 就職難が報じられている博士だが,ここにはその厳しさを乗り越えた者が揃っていた. 素晴らしい.

さて,学位授与式においては1人ひとり登壇して,総長から学位を授与された. 研究科が違ったり,学位の種類が違ったりすると,全文を読み上げてもらえるわけだが, オレの前の方が博士(理学)であり,オレは博士(工学)であったため, 全文を読み上げて頂けた.とても嬉しい.

かくして,2008年3月24日に博士(工学)の学位を授与されました. これにて,「博士への長い道」は完成されたのである.

製本

2007年11月9日

学校指定の港北出版印刷に,学位論文製本についての見積もりを依頼する.

  1. ハードカバー(黒に金文字)
  2. ソフトカバー(レザック)

2007年11月15日

港北出版印刷から見積もり結果が届く.

なお,公聴会(予定)までに納本されるためには, 原稿を11月29日までに入稿しなくてはならないらしい. 概ね,3週間を要するので,余裕を持った行動が必要となる.

2007年11月16日

見積もりと予算を見比べ,以下のように正式な見積もりを依頼する.

  1. ハードカバー(黒に金文字)
  2. ソフトカバー(レザック)

2007年11月27日

業者の方に研究室まで足を運んでいただき,製本依頼を行う. 博論原稿のディジタルデータ一式(TeXに必要なデータとPDF化したもの)および, ハードコピー1部に,学位論文の書式について取り決めた公文書のコピーを預ける. まずは,公聴会(予定)に向けて,ハードカバーを3部依頼した. 問題がなければ,年明けに残り全てを製本依頼する予定. 本製本の3冊は「学位授与可否の審議依頼」において提出が必要である. よって,1月16日までには準備しておく必要がある. 逆に言えば,この3冊以外はいつ作成しても構わないということである.

2007年12月20日

製本依頼をしていた3冊が仕上がってきた. やはり,研究室のプリンタで刷ったものとは出来が違う. これで公聴会も安心である. この3冊は公聴会の後,学位授与可否の審議依頼に提出することとする.

2008年1月17日

業者の方に研究室まで足を運んでいただき,製本依頼を行う. 公聴会に利用した3冊は学位申請に回されているが, クリティカルな誤字脱字の修正を目的として,再製本を行うため,後日差し替えることになる. 今回の製本依頼は,主には保管用と配布用である.それに学位申請用3冊を増したものである. レザックのカラーはスカイにした. 若々しい色遣いがフレッシュマンを飾る.

2008年2月18日

依頼していた学位論文の製本が完成してくる. 段ボール箱にギッシリと.ものすごい量だ. 取り急ぎ,学位申請用の3冊を差し替えに出す.

公聴会

2007年11月12日

公聴会(予定)の開催日程と場所が決定する. 12月19日までは「(予定)」が付いていることに意味があります. 予備審査中の学位論文に「(仮題)」や「(案)」を付けるとの同じ,通例です.

  1. 日時:2007年12月22日(土) 午後3時~
  2. 場所:東海大学湘南校舎 12号館5階 12-2会議室
  3. 発表論文題目:属性認証における匿名性と整合性に関する研究

なお,公聴会の場所は早めに確保する必要性がある. 少なくとも,学位申請と同時,または以降の可能な限り早い段階で行うべきである. 部屋を確保する以前には, 必ず司会をお願いする先生(要連大指導資格)に, 内々の話を取り付けておく必要がある. また,公聴会に参加していただける企業の方や卒業生に, 内々の案内をしておいた方がよい.

2007年12月19日

公聴会の開催が承認される. 12月22日は決戦だ.

2007年12月22日

午後3時より,12-2会議室で公聴会が開催された. 学内外から,多くの皆様にお集まりいただき,緊張しながらも,学位論文発表を行った. なお,発表時間は60分を目安にし,公聴会自体は90分程度の予定だったのだが, 60分という未知の発表時間に翻弄され,見事に時間を超過した. 発表時間がどうであれ,発表練習はしておくべきだったと後悔した. 質疑においては学外の方から4件の質問を頂き,それなりの出来であったと自画自賛しておく. 公聴会に参加していただいた皆様に,感謝いたします.

学位審査に必要なもの

学位審査手続き日程

予備審査 9月上旬~10月中旬

論文の実質的な審査はここで行われる. よって,学位論文が仕上がっている必要がある. 審査委員の条件は審査委員の項を参照.

学位申請 最終申請日11月1日

最終申請日までに, 学位申請時の提出書類を指導教員に提出し, 指導教員から研究科長を経て,総長に申請をしなくてはならない. 実質的には,数日前までには申請を完了したい.

学位審査委員会 11月28日

連合大学院運営委員会 12月19日

本審査 連大運営委員会以降,公聴会以前

資料には存在しないが,本審査と呼ばれる予備審査のスゴイ版が存在する. 要注意. 運営委員会の承認に基づき,公聴会に向けた最後の審査を行うらしい.

公開発表会(公聴会) 12月下旬~1月中旬

原則的にはコース単位で開催するらしい. 12月中旬となっているが,実質的に不可能である. 運営委員会が19日で,本審査は20日以降の開催,公聴会はどんなに早くても21日開催である. よって,12月下旬~1月初旬となる. なお,所属校舎の冬期休暇期間を考慮する必要があるため, 公聴会の開催日は実質的にかなり限定される. しかしながら,運営委員会の承認後でなければ,公聴会の日程を決めることができないらしい. 無茶苦茶である.

公聴会には審査委員の他に,司会と書記が必要となる. 司会は連大指導資格が必要となる上に,審査委員以外から選出する必要があり,人選が困難になる. 書記は特に制限はないらしい.

学位授与可否の審議依頼 1月16日

学位規定による提出書類

  1. 製本された学位申請論文:3部
  2. 試験結果の要旨または学力確認結果の要旨
  3. 学力試験成績表(論文博士のみ)
  4. 審査結果の要旨

その他の提出物

  1. 論文要旨
  2. 学位審査論文の電子データ

理工学研究科提出書類

  1. 審査委員会議事録
  2. 公聴会記録(理工4)

学位審査委員会 1月30日

「学位授与可否の投票は投票総数の3分の2以上の可をもって判定「可」とする」らしい.

連合大学院運営委員会 2月27日

学位授与 3月24日

学位申請時の提出書類

学位申請に必要な各種書類の一部は 連大のサイト から入手可能である. ただし,2007年11月9日現在において公開されている申請書類は正しい書式ではないので, 学位申請される方は再提出の義務が発生することを覚悟してください.

  1. 学位申請書
  2. 履歴書
  3. 論文目録
  4. 論文要旨
  5. 確認書(共著者のいる場合)
  6. 学位申請論文:3部(仮製本も可)
  7. 学位申請論文の審査について(表紙)研究科長印が押印済
  8. 論文審査料領収書(論文博士のみ)

その他の必要書類として,理工学研究科では,以下の書類が必要である. 予備審査会議事録は主査が作成する. 確認書提出免除願のテンプレートは一般に入手はできない.

  1. 別刷り等:3部
  2. 予備審査会議事録(理工2)
  3. 確認書提出免除願(理工3)

審査委員

審査委員は当該専攻3名(主査+2名)を含み,合計5名以上. 指導教員が主査になるようだ. 審査委員には連合大学院有資格教員のほか, 当該専攻が論文審査員として相応しいと認めた者を加えることができる.

論文受理条件

理工学研究科課程博士の場合,主論文1編と付加論文1編が必要要件となる. 当然ながら,ファーストオーサーまたはプライマリオーサーであることが必要. ファーストオーサーとは,印刷された論文の著者のうち筆頭者として,すなわち最初に記載されている者. プライマリオーサーとは,当該論文の主著者であり,論文の主な業績がその人に属する場合の著者をいう. プライマリオーサーはコレスポンディングオーサーあるいは責任著者という場合がある.

理工学研究科の主論文は以下の条件を満たすものである.

  1. 学術論文誌でインパクトファクター0.1以上のもの
  2. 同一学会発行の論文誌がインパクトファクター0.1以上の学会誌
  3. 上記に当てはまらないが,発行機関が法人格を有し,かつ学術会議登録団体である学会
  4. 理工学研究科で認められた,各コース独自の学術雑誌,論文誌等

理工学研究科の付加論文は以下の一般条件を満たすものの他に,各コースにより定められている.

情報理工学コースの付加論文条件は以下.

学位論文援助金

学位論文援助金とは「博士の学位論文作成のための援助金を支給することにより, 学位取得を奨励し有為な研究者を育成することを目的とする」もの. 援助金の使用用途としては,「学位論文の印刷および製本」あるいは「学位論文作成に直接必要とされる経費」. 予算項目には以下のようなものがある.一部を抜粋. 「外国出張に要する旅費」「国内出張に要する旅費」「印刷代,別刷代,論文掲載料,論文投稿料」 「論文製本代」「国際学会参加費,学会参加費」

ここで,注意を促したいことがある. 予備審査や学位申請時に,博士論文を印刷することと思うが, それにかかる費用,例えばプリンタトナーや紙は「(018)消耗品」で予算計上しなくてはならない. 学位論文の印刷および製本にかかる費用だと解釈し, 「(026)印刷費」や「(027)製本費」で計上しても,予算が下りないことが分かった. このような勘違いをしてしまった場合,一筆を添えて,予算変更依頼を行う必要がある. 受理されるかどうかは全く不明だが. このようなトラブルに遭遇しないように, 必ずトナー代と紙代を「(018)消耗品」に計上しておこう. 4回の予備審査と学位論文仮製本3部の印刷がプリンタに与える影響は,思いの外に大きい.

出張に関しては以下のような文面が書かれている.

予算調書の中で、「旅費・交通費」を申請した人は、「東海大学 内国出張報告書運用細則」により、出張報告書を提出しなければ なりません。 全経路150km以上の出張に対し、出張報告書(様式4)を 指導教員に提出し、そのコピーを教学部事務室にご提出ください。

また、「外国旅費」を申請した人は、出張後「帰国報告書」 (様式5)の提出が義務付けられました。 原則として帰国後1ヶ月以内に指導教員に提出し、 そのコピーを教学部事務室にご提出ください。

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Latest Update Mar 26, 2008. 02:05:55 Yocchan!