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「わからない」がわかった [ 思想 ]

TAの経験と話術によって得た情報から,
「授業がわからない」
というのが,一体どういう状況なのかを考えたい.
仮説を立ててみる.

仮定
授業でやってることがサッパリわからない.
何をやってるのかわからない.
どうしてそうなるのかがわからない.

仮説
授業で扱う範疇を理解できないのではなく,
授業を習うに当たって必要となる前提知識の欠如が原因.

事例
・解析学を受講しているのに,微積分を理解していない.
・プログラミングの授業なのに, PCの使い方がわからない.


私が思うには,
教え方の上手い下手は別として,情メの授業の網羅性は十分だろう.
しかし,授業の前提条件および目標が明確でない場合,
受講生が途中で道に迷う可能性を含んでいると思われる.
ただし,シラバスに明記されているか,
あるいは,ガイダンスで説明があるかについては,一切不明.
情メの授業では,そういったことがないと信じたい.

「授業がサッパリわからない」という状況は見過ごせない.
しかし,その背景には,前提条件の欠如が見られると思う.
例えば,プ技において,
C言語の基本的文法を理解していないというのは,問題だ.
プ技はプ実を前提にしているわけであり,
C言語が書ける前提があるのだ.
その状況下で,プ実未修得または理解不十分のまま,
プ技を受講して,わからなくなるのは,至極当然と言えよう.

そこで学生は,以下の選択肢から自分の道を選ぶことになる.
・修得を諦める
・前提知識を習得する
・全てを天に任せる

理想的には,前提となる知識や技術を教える科目があっても良い.
しかし,学科カリキュラムに組み込むことは,物理的に不可能だ.
何故不可能か?
教員が足りないし,コマ数も足りない.
ですので,計算機センター開講科目を有効利用していただきたい.
それが嫌だと思うなら,是非とも,自助努力をして欲しい.
大学の授業に,無駄なものなど一切ない(はず).
無駄だと思うのならば,獲らなければいいことだし,
無駄だと感じる自分の向学心の無さを恨めばいい.
大学は教育の最高学府である.
学べ

良く言われることだが,
「わからないことをわからないまま放置しておく」
という事例が頻発する.
この理由として,
「テストだけしか考えていない」「単位修得が目標」
などが考えられる.
本来ならば,わからないことは,その日の内に解決するべきである.
そして,その自助努力を行わない学生に対して,
教員側は一体どのような救いを差し伸べることができるのだろうか?
テストにでるところをピンポイントに教えることだろうか?
甘やかして単位を与えることだろうか?
厳しく突き放し,現実を見せることなのだろうか?