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課程博士が規定年限で取れない! [ 教育, 研究, 記事 ]

asahi.com:文系の博士号、難しすぎ? 理系の3分の1以下 - 暮らし

対岸の火事ではありませんのだ!
この記事は文系の博士号取得率が理工系の取得率に比べて,圧倒的に低いことを指摘している.
それにしても,工学の授与率も52.8%か・・・
規定年限で博士号を取得するのは,やはり大変な困難がつきまとうものなのだな.

大学が学生に博士号を与える条件は、「自立した研究ができる能力」があること。理系の各分野ではこうした考えが浸透しているが、文系の分野では約120年前の制度発足以来、「功成り名を遂げた人」に与える意識が根強く、理高文低の一因となっている。

「自立した研究ができる能力」というのはよくわかる.
国公立はどうだかしらないが,少なくとも我が研究室は放置プレイである.
放置プレイなどと言ってしまうと誤解を招くのでフォローしておこう.
論文投稿の催促,論文校閲,英文校正,研究室運営の丸投げ,後輩指導の指示,
金銭面のやりくりなどは適切に行われている.
しかしながら,研究についての議論など,博士課程になってから1度もやっていない.
ミーティングと呼ばれるものはあるが,オレが一方的に説明して終わる.
何かの問題に直面しても「それは調べなくちゃいけない」という素晴らしいお言葉を頂くだけだ.
よって,博士課程は自立した研究をさせる場であることは明白だろう.

だが,文系の「功成り名を遂げた人」というのはどうしたことか.
それはあまりにも酷いのではないだろうか.
論文博士ならまだしも,課程博士にそんな条件を求めるとは・・・
博士課程前期から考えて,規定年限5年だろうか.
博論を書く時間が必要なので,正味4年で世に名を知らしめろとでもいうのか?
それはあまりにも文系が可哀想すぎる.
よく考えてくれたまえ.
文系学部生と文系院生の格差が大きすぎるではないか.
文系学部生が真面目に(以下ry

ところで,この記事を取り上げた理由は,文系を哀れむためではない.
文科省を批判するためである.

文科省は05年9月の中央教育審議会(文科相の諮問機関)の答申を受け、大学院教育について学問研究とともに人材育成面にも力点を置く方針を打ち出し、その一環で修業年限内の学位授与を促している。

研究一辺倒だったところから,コースワーキングの充実を図っていることは知っている.
規定年限での学位取得を目標にした指導をしろという話も聞き及んでいる.
しかしながら,ちょっと待って欲しい.
何故そういった議論から,このような結論が導き出されるのだろうか.

同省の担当者は、文系の現状について「ちょっと低すぎる」とし、「どの程度の授与率が適当か、各大学院で考えてほしい」と話している。

授与率を先に決めろと?
授与率を決めた上で,誰に学位を授与するか考えろと?
つまりなにか?
課程博士が50人いて,授与率50%が決定されたら,
25人はどんなに頑張っても学位をもらえないのか?
おかしいだろ.どう考えてもおかしいだろ.

博士の学位を得るに相応しい条件を満足している人に授与するべきだろう.
そうなれば,授与率100%も有り得るだろうし,逆に0%だって有り得る.
なのに何故,授与率を考えなくてはいけないのだろうか?

もし,授与率が確約される時代が来たとしようか.
金持ちは簡単に博士号を取得できることになる.
何故か.
サクラを大量に投入すればいいからだ.
正規博士課程生25人で,授与率50%だったら,サクラを25人投入すればいいのだ.
ほら!おかしな話だろ?
こうやって手に入れた博士号に何の価値があるのだろうか?
ただでさえ,博士号は「足の裏の米粒」だと言われているのに,
こんな状況下では,さらに軽視されてしまうではないか.

文科省がこんな方針を打ち出すもんだから,大学教育がおかしくなるんだ.
プ実みたいに「合格率6割でお願いしたい」とか言われてしまうんだ.
何のための成績評価か.何のための合格基準か.

教育を堕落させてしまっては,未来はない.