(3) 自ら進んで学生に声を掛けること。質問したくてもできない学生が多くいます。できたら,そのような学生にもTAから声を掛けて分からない点を聞き出すような工夫をお願いします。
全くそうは思わない.
質問ができないというのはどういうことか?
恥ずかしいからか?かっこ悪いからか?
「聞くは一時の恥,聞かぬは一生の恥」
勝手に一生恥じていればいい.
大学は義務教育ではないので,能動的に学ぶ気持ちがないのであれば,
教える側だって能動的に学ばせる必要はない.
「わからない.でも学びたい!」という学生はすくい上げるべきだが,
「わからない.でもいいや!」という学生なんて時間の無駄.
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」(夏目漱石:こころ)
質問をしてこない学生に声をかけるデメリットを考える.
デメリットなんてないと考えているとしたら,相当なエゴだ.
一般的に考えて,質問ができない学生は引っ込み思案の学生である.
前に出ようとしない,自分を出そうとしない,密かな存在でありたい.
「あぁ,質問したいけど,恥ずかしくてできない」
そんな学生にTAが声をかけたとしよう.
この学生はどう感じるだろうか.
「あぁ,TAさんはちゃんとみんなのことを見てくれているんだ」
これは良い面.
「手を挙げなくてもTAが見に来てくれる.その時に質問すればいい」
と考えたらどうなるか.
引っ込み思案がさらに引っ込む.
ましてや,TAは決してその学生だけを見ているわけではなく,クラス全体を見ている.
手を挙げている学生を後にして,手を挙げていない学生を見て回ることは有り得ない.
とすれば,引っ込み思案の学生のところに行く機会は恒久的になくなるかもしれない.
常識的に考えて,手を挙げない学生は以下のように分類できる.
1. 質問をする必要がないほど理解している学生(優秀型)
2. 引っ込み思案の学生(受動型)
3. 出席していることに価値があると信じている学生(無気力型)
優秀型はいいんです.放って置いても自学自習します.
無気力型もいいんです.学ぶ気がない学生を相手にする気はありません.
TAにうるさく言われるのは,彼らにとっても不本意でしょう.
単位を落とす学生を生暖かく励まし,中退しないようにうまく取り扱い,
留年させて,その分の超過授業料を得るのが,私学の本質でしょうか?
↑これは皮肉ですよ.
悔しいと思ったら,奮起してしっかり卒業してください.
問題になるのは受動型だ.
手を挙げないだけで,質問したいことを抱えていることが多々だ.
そんなことは知っている.百も承知である.
だが,彼らは質問をため込んでいるわけだ.
手を挙げないわけだから,質問ができないわけだ.
その分の質問をため込んでいる.
そうでなければ,優秀型か無気力型に該当するはずだ.
その受動型の学生に一度声をかけるとどうなるか.
あれもわからない.これもわからない.
質問の嵐になるだろう.
一度声をかけてしまった以上「質問は1つまで」なんて言えない.
やるならとことん,最後まで.
その間に,積極的に手を挙げる向学心の高い学生がいたとしても,
そちらに行くことはできない.
TAの人数が十分にいる少人数教育の状態なら,一人一人に声をかける意味はある.
だが,実際にはTAは2人であり,先生を含めても3人である.
たった3人で,80名程度を相手にするのだ.
単純計算で,1人当たり30名弱を見ることになる.
これ,どんな小・中・高?
しかも,ご存じのように,その30名の能力差はものすごくでかい.
能力差は小学校のそれの比ではない.
このような環境で,全ての学生を等しく扱うことなどできはしない.
もし,等しく学生を扱うことができるというのならば,単位を落とす学生なんて居るはずがない.
私は大抵において極論派の人間だから,ハッキリと述べておく.
手を挙げて質問できない学生は,手を挙げられるようにならなくてはならない.
だから,オレは絶対に自ら声をかけることはしない.
「言われなかったからやらないかった」
「わからなかったけど質問できなかった」
「誰も教えてくれなかった」
「手を挙げるくらいなら分からなくてもいい」
どれもこれも利己的な言い訳であり,他人を理由に逃げている.
こんな学生が増える温床を作ってはいけない.
知りたいこと・聞きたいことがあるなら,自らアクションを起こす必要があると知らしめなくてはならない.
何でもかんでも,受け身でやっていけると思っていることを正さなくてはならない.
何も考えてないとか,「全く分からない」というとか,レポートが出せればいいだけとか,
過程を求めずに結果のみを欲するとか,そういう学生でなければ,必ずお相手します.
誰にでも懇切丁寧に優しく手取り足取り接すればいいというものではない.
そうやって下の学生を甘やかすから,ますます低きに流れることに,何故気がつかない.
勉強を教えるだけが,高等教育である大学の役目なのか?
社会に出て行くに相応しい人格,教養,知識,経験.
そういうことを正しく身につけさせることこそ重要なのではないだろうか.
「自己責任」「自業自得」
学ばせることが,高等教育の役目ではないだろうか.