前エントリーの続編.
Kakku Tips: TAはこうあるべきだ?にインスパイア.
自分が正しいと思うことをやればいい.
絶対に正しいことなんてない.
もしも,絶対に正しいことがあるのならば,議論になり得ない.
色々な背景があって,色々な考え方がある.
議論をするためには,持論と異なる価値観が必要だ.
論1「質問したくてもできない学生に対して,TAから声を掛ける」
論2「求めなくては与えられないことを学ばせるために,声はかけない」
この2つを論じ合えばいい.
そして,どうするべきかを議論すればいい.
何かが正しくて,それ以外は正しくないということはない.
だから,オレは批判する.
「この世界に希望をもつためには批判し続けることこそが必要だ」
私は「自ら進んで学生に声を掛けること」を絶対にしない
これは私の意思表明であり,皆にこうしろと言ってるわけではない.
「自ら進んで学生に声を掛けること」は私の思想に合わないだけであって,それ自体がダメではない.
ただ,ただ単に,私は「自ら進んで学生に声を掛けること」を絶対にしないだけである.
あのような注意書きで,思想が揺らぐような軽い気持ちでTAをやってなどいない.
もっというならば,あの程度の注意書きで行動を改めるようなTAはTAに相応しくない.
教育を軽んじている.
誰も彼もが教育をできるわけではない.
大学院生ならば教育者として適任でもなければ,優秀な人間が教育者として適任でもない.
教育に対して熱意を持っているものが,適任者だ.
だから,優れた研究者が教育者として適任かどうかはわからない.
高等教育に対する皮肉だよ.知ればいいのに!