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「ゆとり」失敗の反省点を中教審が明確に [ 教育, 記事 ]

「授業減らしすぎた」中教審が異例の反省 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

おおおおお.なんだこれ,すごいぞ.
中教審がゆとり教育の反省として「授業を減らしすぎた」って認めたらしい.
なんぞー.


中教審は反省点として5点を挙げているようです.

〈1〉「生きる力」とは何か、なぜ必要なのかを、国が教師や保護者に伝えられなかった

いきなり「生きる力」という謎の言葉が出てきましたが,これは解説があります.

中教審は1996年、それまでの詰め込み教育への反省から、思考力や表現力といった学力と、他人を思いやる心などを「生きる力」として提唱

だそうです.
wikipediaの方が分かりやすいですね.
ハッキリ言って,「生きる力」を掲げた途端に,それが成されなくなったような気がするのだが・・・
今時の学生は探求心も学習意欲も向学心も低く,言われたことしかやらない.
完全に「生きる力」に反しているではないか.
反省点として「必要性を伝えられなかった」となっているが,それは違うと思う.
「生きる力」がゆとり以前よりも低下していることを考えれば,やり方が間違っていたんだと思う.
総合学習では学べなかったということ.
とにかく難問を投げつける方が効果はありそうだが・・・


〈2〉「生きる力」の象徴として、「自ら学び自ら考える力の育成」を掲げたが、子供の自主性を尊重するあまり、指導をちゅうちょする教師が増えた

あるあるw
これは諸悪の根源かもしれない.
「自主性を尊重」の名の下に,何もしない教師は実際にいた.
「自主性を尊重」することは大事なことだが,義務教育中はまだその段階ではないだろう.
そもそも「自主性」という言葉を理解できない小中学生が,
オレオレ解釈でなんでもかんでも「自主性自主性」と乱用するのを止められなかった教育が悪い.
茶髪にピアスで「これがオレの個性っスよ」とか,マジ死ねよ.


〈3〉総合学習の時間を創設したが、その意義を伝えきれなかった

総合学習に教育効果を求めているんだとするとダメかもしれないが,
厚木市の総合学習はあれはあれでいいと思う.
中学校の総合学習は今ひとつ重要性を理解できないが,小学校の総合学習は必要だと思う.
ただ,学校側(教師側)の負担はものすごいと思う.
地域ボランティアや専科の先生が入らざるを得なくなり,かなりの負担になる.
でも,やるだけの価値はあると思うけど.


〈4〉授業時間を減らしすぎたため、基礎的な知識の習得が不十分になり、思考力や表現力も育成できなかった

赤裸々すぎwバロスw
全く持ってその通りでございます.
他に言い表す言葉がございません.
GJ!


〈5〉家庭や地域の教育力の低下を踏まえていなかった

これもどうかと思いますが・・・
そこに責任を持っていかないで欲しい.
仮にこれが反省点だとして,家庭や地域の教育力をどうやって向上させるのか.
それは学校の役割なのか?
・・・・・・役割のような気もするなぁ.
ところで,「地域の教育力」っていうのは,いわゆる地元のおじいちゃんおばあちゃんのことですか?
戦争の話とか,農作の話とか,「わしが若い頃はー」的な話をしてくれたり,
竹とんぼを作ったり,竹馬を作ったり,凧を飛ばしたりする,おじいちゃんおばあちゃんですか?
なんでだろうねぇ.
オレが小学生の頃は,その辺にいっぱいいたような気がするのだが・・・
高齢化社会と言われている今,あんまり見かけないような気がするのだが・・・
カルチャースクールとか,インターネットとか・・・
井戸端会議なんてしなくなったからかしら?


まとめ
中教審の姿勢は評価できる.
しかしながら,一度低きに流れてしまった水を高きところに戻すのは大変である.
教育の本質が追究されるのは,これからだろう.