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考える力が身に付かない小・中学理科 [ 教育, 記事 ]

asahi.com:小中学生理科、考える力身につかず 国立教育研究所調査 - 教育

理科の実験で、結果が予想と違った場合、原因を調べようという子どもは、小学校より中学校の方が少ない――こんな傾向が、国立教育政策研究所が27日にまとめた理科の授業の課題調査で分かった。

それが何故なのかを国立教育研究所は理解しているのだろうか.
子供達の気持ちを考えたことがあるのだろうか.

小5の90%、中2の82%が「観察や実験が好き」「どちらかと言えば好き」と答えた。一方、「考えが正しいか調べるため、観察や実験の方法を自分で考える」は小5の61%に対し、中2は29%。「予想と異なった時に原因を調べようとする」は小5が59%で、中2は48%だった。同研究所は「学年が進むと内容が高度になるという面はあるものの、課題がある」としている。

実験は楽しいに決まっている.
オレが小4の実験をやっても面白いと感じるんだから,小4が面白いと感じないわけがない.
ここで「面白くない」とか「嫌い」という返事が返って来るとなると,
実験が興味を引く内容になっていないか,児童の向学心や探求心が不足していると思う.
こうなると,事態はもっと厄介なことになるのだが,そうなっていないだけ良いだろう.

閑話休題.
予想と異なる原因を調べる必要性がどこにあるのだろうか.
小学生の教科書なら,次のページをめくれば,男の子と女の子が親切丁寧に説明してくれるだろう.
そう.そこにはその実験の「答え」が書かれているのだ.
答えが分かってしまったのに,その過程・理論を知ろうとするだろうか?
そういう次元の話だ.
彼らにとって,過程や理論は問題じゃないんだ.
必要なのは唯一の答えだけなのだ.
そう,結果だけなんだ.


理科や数学は答えが必ず決まっている.
その決まっている答え以外は間違いなんだ.
そう.見た目は子供,頭脳は大人も言っているではないか.

真実はいつも1つ!

中学生になる頃には学んだんだ.
それを学んでしまったんだ.
「どうせ答えは決まってるんだ」「オレが考えても間違っているかもしれない」
「待ってれば先生が答えをいう」「先生がいう答えを覚えれば良いんだ」

現代の児童・学生らは,とにかく無駄が嫌いで,時間を節約・効率化したがっている.
だから,答えが決まっているものに対して,その答えを探しに行くというアプローチは無駄なんだ.
探すなんていうのは,無駄な労力に過ぎないと考えているのだ.
答えはあるのだから,それを与えられるのを待つだけなのだ.
与えられなかったら,諦めるだけなのだ.
そういう教育をされ続けててきた結果なんだ.
必要なのは「過程ではなく結果である」と教育され続けてきたんだ.


必要なのは「過程だ」と言い切れるか.
誰がそれを言い切れるか.
現代社会の誰がそれを言い切れるか.
いつだって,求められているものは「結果」ではないか.
いつ「過程」が重要視されているのだ.
オレはそれを知りたい.

教育の現場に近いところでいえば,入試だ.
どんなに早い時期から準備をして,毎日10時間も勉強し,塾に通い続け,
品行方正に学校生活を送り,予習・復習を欠かさなかったとしても,
合格するか否かは,入試の出来不出来に掛かっているではないか.
違うのか?
センター試験で足切りをするような大学が,違うと言えるのか?
過程を重要視するなら,入試も面接も何も必要ないはずではないか.
過程に結果が付いてくるのではないのか?

入試はもっとダメな点を含んでいる.
途中点が入らないことだ.
完全完答のみが正答として配点される.
特に問題なのはマークシート式の試験だ.
どんな公式を使い,どういう方法で計算したのかが分からない.
だから,答えが間違っていたとしても,理解していなくて間違えたのか,
計算ミスで間違えたのか,マークシートへの転記ミスで間違えたのかがわからない.
そうしたのは誰だ?
過程を無視して,結果だけ搾取しようとしているのは誰だ?
そういうシステムにしたのは誰だ?
まさか教育者ではあるまいな.

学位審査でも同じだ.
睡眠時間を4時間に削り,授業を受けながら,遠い学校まで通いながら,
できない英語を必死で使いながら,苦労して苦労して書き上げた論文も,
査読に通るかどうかは内容次第であって,どれだけ努力したかという過程は考慮されない.
だから,どれだけ苦労して学位申請に必要な主論文を準備したかは関係がない.
博士生「私はこんなに苦労して博士課程を3年間過ごしました」
審査員「で?主論文は何本書けたの?」
というやり取りが行われるに決まっているではないか.明らかではないか.
過程なんて全然関係ないんだ.
必要なのは結果だけなんだ.


まとめ
誰が悪いかなんて,無駄な議論だ.
被害者は若者で,加害者はそれに関わるもの全てだ.
重要なのは「過程」であって,「結果」ではないことを擦り込まないといけない.
例え,実社会が「結果」偏重主義だとしても.
教育現場において,「結果」偏重主義は害を及ぼしていることを理解されたい.