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授業評価の重要性 [ 教育, 記事 ]

教師力 大学編(8) 学生の授業評価 改善途上 : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
Kakku Tips: 教師力-大学編

連動してないけど,ネタ元もリンク.
読売の記事は大変重要なことに言及しているので,肯定的に取り扱う.

まず始めに明確にしておくと,本学で行われている授業評価は意味を成さない.
単なる形式であり,アンケートを何のために行うのかが全く理解されていない.
「やっておけばいい」という考えの基に行われているとしか思えない.
何故ならば,あのアンケートはオレが学部入学をした頃から,何も一切変わっていない.
こんなことを書くと「自由意見を書く欄がある」といわれそうだが,それこそ無知晒し.
要するに,何をアンケートすればいいのか分からないから,学生に丸投げ.
金の無駄遣いであることを知るべきであるし,学生はそこに不満をぶつけるべきだ.

さて,記事について言及する.

玉川大学(東京都町田市)の菊池重雄教授(53)が「地域研究入門」の講義を打ち切り、授業評価のアンケート用紙を配り始めたのは、終了25分前だった。携帯ゲーム機で遊んでいた学生やおしゃべりに興じていた学生も、神妙な顔でシャープペンシルを走らせ始めた。

スルーするべきかとも思ったが,触れておいた方がいいと思った.
この段落に全てが要約されていると思う.
これが大学教育の現場なのだから,何をどう頑張ったところで,改善はされない.
教える側の問題ではなく,教えられる側の問題である.
菊池教授は今のやり方では微塵も良くないことを即座に理解するべきである.
記者が誇張して書いている可能性は否定できないが,現状と大きくかけ離れていないリアリティがある.

大学の授業は、大学設置基準で、予習復習を前提に組み立ててもよいことになっている。しかし実際は、予習を前提にした授業に「ついていけない」と厳しい評価が集中する。

良く言った!良く書いた!
もっと周知するべきである.
単位は大学設置基準で規定されている.
単位については「単位とは」で述べているので熟読されたい.
「ついていけない」のではなく「ついてこない」のだ.
そして,「わからない」のではなく「わかろうとしない」のだ.
出題される問題も解答例も分かっていながら,平然と30点以下を取るような学生共に「難しい」などと評価されたくはない.
答えが分かっている問題を出題しているのに,これ以上どうしろというのだ?
「名前を書けたら合格」とでもして欲しいのか?
恥を知れ.痴れ者共が.
学力低下の最たる例である.

さらに、学生の評価が簡単に変わることにも、菊池さんは困惑する。ある時、菊池さんは、質問項目を説明しながら、授業準備にどれだけ努力しているかを披露してみた。「毎回、前日は徹夜で準備したよ」「みんなにわかりやすいよう、こんな工夫をしたよね」。結果はそれまでにない最上の評価だった。

素晴らしい試みである.
それと同時に絶句である.
要するに,アンケートの信憑性など微塵も存在し得ないと言える.
つまり,このアンケートからくみ取れるのは,どれだけ学生に媚びられたかだ.
教員はアンケート結果に左右されることなく,常に毅然とした態度で挑まなくてはならないということだ.
ほら.アンケートなんて完全に無意味ではないか.

菊池さんは、記名式への変更も考えている。授業改善の取り組みと学生個々の成績との関係を分析できるように改め、学びの質の向上に役立つ授業のあり方を探りたいからだ。ただ個人情報保護の面から課題があり、すぐに実現するのは難しいという。

これ・・・いい加減どうにかならないのだろうか.
何でもかんでも個人情報保護法といえばいいと思いやがって.
政治家の「適切に対処いたします」や「記憶に御座いません」と同じだな.
面倒くさいときに使われる便利な言葉.
以下,個人情報の保護に関する法律第五十条を引用.

    第五章 雑則
 (適用除外)
第五十条 個人情報取扱事業者のうち次の各号に掲げる者については、その個人情報を取り扱う目的の全
  部又は一部がそれぞれ当該各号に規定する目的であるときは、前章の規定は、適用しない。
  一 放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関(報道を業として行う個人を含む。) 報道の用に供
    する目的
  二 著述を業として行う者 著述の用に供する目的
  三 大学その他の学術研究を目的とする機関若しくは団体又はそれらに属する者 学術研究の用に供す
    る目的
  四 宗教団体 宗教活動(これに付随する活動を含む。)の用に供する目的
  五 政治団体 政治活動(これに付随する活動を含む。)の用に供する目的

要するに,個人情報保護法を盾に記名アンケートを行えないとするならば,
そのアンケートは学術研究目的に利用されないということを意味しており,
何を書いたところで,授業には一切反映されないであろうことを暗に示している.
(誤解釈があったら指摘してください.法の専門家ではありません.)

「まじめに授業も聞かない学生の評価に意味があるのか」

ありません.
そういう学生は悪意のアンケートを返してくるので,アンケート結果の信頼性に関わります.
出来ることなら除外するべきです.
ちょっと考えればわかると思いませんか?
評価できない人が評価することを正しいと思いますか?


まとめ
アンケートは全廃止にしても良いくらい.
どうしてもエビデンスが欲しいなら,金をかけずにやるべき.
真面目にやりたいのなら,少人数を無作為抽出して,別室でアンケートをしたらいい.
全数検査が良いとは限らないこともあるのだ.
ノイズの除去は重要なことです.

オレは,授業評価アンケートというものは授業を改善するためにあるのだと信じている.
だとするならば,授業に対して強い不満を持つ者だけが述べれば十分である.
「この授業は素晴らしい!」などという絶賛は必要ない.
絶賛されて当然なのだから,絶賛されるためのアンケートなど,一切不要である.
良い点を変える必要はないが,悪い点は改善しなくてはならない.
悪い点の評価,すなわち授業に対する批判である.
批判されたくないのならば,学生の意見なんて聞かなければいいのに.