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TAに対するFD [ 教育, 記事 ]

教師力 大学編(7) 院生助手と魅力の授業 : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

この記事はツッコミ所が満載である.
良い部分も悪い部分も共存している.


院生も「単なるアルバイト」と考える人から「教育者への第一歩」と熱心に取り組む人まで様々だった。

この現状は恐らくどの大学でも同様であると思われる.
しかし,この記事は完全に間違っているから,毅然たる態度で正すが,
TAを「教育者への第一歩」などと考えているようなTAは迷惑極まりない.
既に実践の場に投入されていながら,「第一歩」などと考えているなんて信じられない.
実践の場に出てしまえば,TAだろうが教員だろうが,学生から見れば先生だ.
甘い考えしてんじゃねーですよ.

小笠原さんは、講義やグループ討論を中心としたTA研修だけでなく、自らの授業準備の時間を使った個別研修も始めた。

小笠原さんはとても教育熱心な方のようだ.
「授業準備の時間」があるという構えを多くの大学教員は見習うべきである.
研究や雑務の合間に授業準備をする教員の方が多いのではないだろうか.
ましてや,当日の朝に資料を作っている教員もいるくらいだから.
如何に大学の教育が軽んじられているかということが分かるだろう.
もしかすると,これは本学もしくは本学科だけのことかもしれない.

それが授業の予行演習となり、TA自身の教える力が育つ。「分かりやすく伝えるにはどうすればいい?」と繰り返し尋ねることで、教員側の課題の整理にも役立つ。そして、授業そのものがよくなって学生のためにもなる。「一石三鳥だ」と小笠原教授の口調は熱がこもる。

ものすごく良いことを言っているが,わかるだろうか?
要するに,TAなんて片手間じゃ出来ないということを言っている.
それだけの努力をしなくては良い授業が構成できないという意味でもある.
本学でこれほどの努力をしている教員やTAが一体いかほどにいるだろうか?

小笠原さんが北大でまいた種は育ち、今年度からはTAとしての指導を単位として認定する授業が大学院で本格的に始まった。1年生の必修科目「情報学」を受ける約2600人を約20人ずつのクラスに分け、TA自身が教える。
教員と同様の責任が問われるため、「勉強に熱が入る。授業の構成力や発表力がついた」と情報科学研究科博士課程3年の筒井洋一郎さん(28)。

これがヒドイ!
完全に勘違いをしている.
TAの業務が単位として認定されるとなれば,金と単位の一挙両得であり,多くの院生が受講するだろう.
ご存じだと思うが,授業に来る学生の全てが授業を受けたくて来ているわけではない.
同様にして,この授業でも同様の状態になるだろう.
ということは,TAとして教育業務に参加したいと心から考えている学生ばかりではない.
それなのにもかかわらず,1年生の必修科目をTA自身が教えるそうだ.
入学したての1年生がTAの実験台にさせられている事実.
学生は怒るべきである.
自分が勉強できないのはTAの教え方が悪いからであると.
全ての責任はTAにあり,自分は一切悪くないと(別エントリーを投稿予定).

TA自身が教えるのだから,教員は授業をやらないのだろう.
完全に教員の怠慢ではないか.
言い換えようか.
TAでも出来るような授業なのか?
それともFDが優れていてTAでも授業を行えるようになるのか?
だったら,薄給のTAを使った方が,高給の教員よりもよっぽどいいじゃないか.
優れたFDができる教員を何人か置いて,TAに全授業をやらせれば,経営に優しいではないか.
しかも,教員と同様の責任が問われるということは,減給も懲戒免職も有り得るということだ.
ほら.完全におかしいじゃないか.

TAはTAであって,教員ではない.あくまで補助だ.
TAはTAに徹するべき.教員の補助に徹するべき.